傍観者利己主義

Aloha.

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このブログは、
統合失調症の2児の母が書いています。精神分裂病と呼ばれていた
病が病名を変更したものです。
(以前の病名により苦しめられますので、病名の変更で多少ストレスが減ります)
今現在、幻聴の前触れの症状が
出ていますが、
わたしは『書くこと』ができます。
そこには、『反面……でしょ』という
言語闘争の二面性が潜んでいます。
でも敢えて、
自分自身を救い、家族を守り
この病と闘っている人のために
『命を削って書いている』と言わせてください。

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兄の死から
傍観者利己主義の心理を
目の当たりにしました。

『人の不幸は気になる』

『その人が幸福になると
面白くなくなる』

『どうでもよくなる』

です。芥川龍之介「鼻」
のテーマなのでしょうか。

その反面、ひとりの人を
救おうと必死になり、
回復するまで待ってくれる、
数々の思いやりをわたしは
いただいてきました。

13歳で亡くなった兄は、
ひょうきんで正義感溢れる人でした。
わたしのために
遊びのアイデアをいつも提供して
くれました。
真っ直ぐな兄が、正義の味方ゆえに、
少しだけ一部の人から
イジメにあったときも、
サッカーのシュート
のポーズでいかに友だちの笑いをとれるかの研究をし、わたしはご意見番として大笑いさせられていました。

『今日は遊べないから』
とわざと冷たくあしらう口調で、
2階の二間続きの和室で、
解説付きひとり野球をしていました。

(兄と遊ぶこと以外に
楽しみのない
わたしはその内容をふすま越しに聞き、コソコソ笑っていました)

ミニゴルフ場をつくったり、
ダンボールで山を滑り、
そろばんのリズム音で歌って録音、
永遠しりとり……など、
爆笑の日々でした。
世間一般でも
ごくごく当たり前の日常から、
ある日突然、誰よりも好きな
お兄さんがいなくなって、
主要な核が
ボソンとなくなったら
小学5年生の女の子は
耐えられないことでしょう。
兄が亡くなった年に、
坂本九さんの乗られた
日航ジャンボ機が墜落しました。
悲惨な事故現場が
テレビで報道され、
女の子が無事に救出されました。
その後
事故による心的外傷後ストレス障害という言葉を耳にしました。

残された家族の悲痛な苦しみに
涙しながら、
『誰もわたしを治療してくれない』
と、当時思いました。
どこへ行っても、
兄の名前を口走ってはいけないという
空気がいつも漂い
感受性の高いわたしは
その重い空気の中で、
的外れな発言しかできませんでした。

だから、
地域の中学へ行かず、
兄のことを誰も知らない
私学へ通学させてもらいました。

そこで、バレーボール部に入部し、
人生で始めて
仲間を大切にしたいと思いました。
友だちができたことは、
『兄のように優しくありたい』
という第一歩でした。

そこに、
傍観者利己主義なひとは
誰もいませんでした。

A hui hou.